61 高木の獅子舞


61 高木の獅子舞

 「大正八年頃のことです。芋窪から塩釜様のお祭を見に行ったことがありました。その時思いがけず獅子舞をやっているのを見たのです。四月十五日の晩でした。十七、八の頃で、高木の獅子舞を見たのはそれが始めてでした。嫁時代は身持(妊娠)すれば塩釜様へ参るものとされていましたから、何度となく行きましたが、獅子舞はこの時以来見たことはありません。

 神前に竹を四本立て、それに注縄を張りその中で獅子が三人(男獅子二人と女獅子)と狐一人が踊ります。みんなわらじをはいていました。小学校六年位の男の子が四人、緋を着て前掛をかけ、まわりに布を下げた花笠をかぶった「ささらすり」に扮してよすま(よすみ)に立っていました。ほかに笛や唄うたいが五、六人いました。

 その頃は役場が高木神社の境内にありましたから、そこで大勢集ってはん台に赤飯を盛っていました。獅子はここで仕度をします。
 役場から獅子の踊る神前までは、すぐじみち(近道)があるのですが、練り歩くために大廻りして繰り込んできます。

 松山の松にからまる 蔦の葉も
  縁がつきれば ころりほこれる
 
 唄に合せて拍子よく、ずっつこ、ずっつこ、ずっつこ、つっと鳴らす竹のささらの音が今も鮮かに耳に残っています。
 これは今年八十一才の野ロトメさんが語る獅子舞の有様です。高木の古老の話では、高木神社の大祭に淋しいからと言って獅子舞を出したことが一、二回あったそうですから、これはその時のことでしょう。
 高木の獅子舞は市の文化財に指定されていますが、どこでも同じように後継者問題が悩みのようです。(p135~136)

274、高木の獅子舞


  高木にある高木神社(江戸時代頃は尉殿権現 ( じょうどのごんげん)に祭礼に舞う「三頭獅子舞 (さんとうししまい)」があります。
  高木の獅子舞は、かなり古いもので江戸時代から舞われているといわれ、高木神社の祭礼に奉納されていました。太平洋戦争で中止されていましたが、1946年(昭和21年)には再開されています。この頃にささら子をした方が存命ですので調査しています。1957年(昭和32年)頃まで行われていましたが、それ以後は行われなくなりました。
  1958年(昭和33年)に大和町が調査をして、8ミリ映画に収めたという記述が10月25日発行の大和町広報に載っていますが、この記録が残っているか、わかりません。その記事の中に、唄が20以上あったと書かれていますので、かなり長時間の演奏だったとおもわれます。
  1974年に、東大和市が「文化財」を指定することになり、高木の獅子舞も道具と衣装などが文化財として指定されました。 残念なことに後継者がいないということで、唄と踊りは、指定されませんでした。
  これを機に再度「踊り手」の養成を行い、復活しました。ただ、以前の踊りをすべて継承したものかはわかりません。 この時には、寄付を募り獅子頭の修理「塗り直し、飾り(たてがみなど)を新調」をし、映画を撮りました。
  映画の内容は、道行から退場までの演技と、はじめと終わりに解説がついています。このときは35分位の踊りでした。
 この映画では、1958年頃に踊っていた人が獅子や、狐を踊ったと聞いています。ささら子は以前は男の少年が、女装したそうですが、この時は少女にかわっています。
  その後、2~3年で休止になり、私がビデオ撮影した1994年に20年ぶりの再度の復活と報道されています。 ビデオの撮影時には、笛方、唄い方が複数おり、6人の「ささら子」、男根ににせた棒と、軍配を持った「はいおい(幣負い、御幣を背負うの意)」という狐面をかぶり白い髪の道化、雄獅子が二頭、雌獅子が一頭でした。演奏の時間は約20分でした。
  古くから踊られていた三頭獅子舞がどんなものかわかりませんが、近郷の三頭獅子舞を見ますと、一つの演目に30分くらいかかっており、どの部分を復活させたのかは、わかりませんでした。
  それ以前に見た記憶では、境内の庭に四角の一段高い舞い庭(相撲の土俵の様なもの)をこしらえ、四隅に竹を立て、注連縄(しめなわ)を張り、そこにささら子が立っていたように記憶しています。 
  現在の保存会の方に伺ったところ、1945(昭和20)年以降に踊られていた演目は、「雌獅子隠し」のみ踊られているということでした。   私の知る限りでは、過去の舞い庭の大きさ、それぞれの、衣装、所作、などについて調査した記録は見当たりません、おもちの方がいらっしゃいましたら、連絡をお願いします。(2013.01.05記)
   近年、舞い庭に塩まき人、着物を着た男児、ささら子以外の女子が登場しています。(2015.01.31追記)
  保存会の会長をしたこともある宮鍋 二郎さんの話を載せます。この話の中に舞い庭は2間四方で、赤土で作りもみ殻を敷いた、(高さについては話されませんでした)と話されていますが、これでは狭すぎます、宮鍋さんの記憶ちがいか、聞き取りの方の誤記ではないかとおもいます。 (多摩湖の記録、19号記載)。(2075.01.14追記)
宮鍋さんの話 獅子頭の写真